2017年6月29日 (木)

秋川まりえのストラップはどんなか

村上春樹の新刊「騎士団長殺し」

現在読んでる最中ですが相変わらず面白く読んでいます。

この話に出てくる大人びた13歳の女の子「秋川まりえ」。

大変気になる美少女ですが彼女の持っていた重要な持ち物「ペンギンのフィギュア」が一体どんなフィギュアなのか?推察します。

果たしてまりえちゃんのペンギンはこの中に見つかるのかな?

Lego

Lego社が出しているペンギンフィギュア。

13歳らしいといえば“らしい”んですけどなんか違う。硬さでしょうか

Asia

どこかのアジア雑貨のフィギュア。イノセントは感じるけど

13歳が持つにしては微妙。ひとり旅慣れした30代OL?

Suica

言わずと知れたJRスイカのフィギュア。

まりえちゃんはそもそも電車に乗らなそう

Donki

ペンギンといえばもう一つ、ドンキホーテのキャラ「ドンペン」

どう考えてもまりえちゃんからはヤンキー臭はしないと思われ

Usb

海外のどこかのフィギュア。首ちょんぱしてUSBが現れる優れモノ

かわいいけどUSBが話の筋に影響しそうです

Coach

COACH(コーチ)が出しているレザー製フィギュア(もはやフィギュアなのか)。

これはまりえちゃんよりもむしろ金持ちの免色さんの持ち物でしょう

Snoopy

スヌーピーがペンギンに寄生されかかっているフィギュア。

イノセントが闇のメタファーに支配されつつあるのを象徴するかのよう

当劇場では秋川まりえちゃんのストラップはこれだとすることにします。

以上報告まで。

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2017年4月13日 (木)

「愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家」

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「愛国とノーサイド 松任谷家と頭山家」

個人的に気になりまくっていた人物たちテンコ盛りという奇跡のような本を見つけてしまい、本屋で一旦手にとって数ページめくって棚に戻して、一回ひとまわりして逆立ちしてまた本を手にとって、最終的にレジに持って行きました。

近代日本の暗い情熱のなかに登場した怪物と、芸能史に名を刻んだミュージシャンたちとの意外な繋がり、何せあの大物フィクサーこと頭山満とユーミンこと松任谷由美に接点があるって聞けば逆立ちせずにはいられないわけですよ。松任谷家と頭山家はファミリーツリーで繋がっていたとは!

その大元の頭山満は政治結社「玄洋社」を立ち上げた「右翼の大物」という捉え方を一般的にされていますが、右翼は右翼でも昨今流行りのホンニャラ学園やらホンニャラ会議みたいな狭量でチンケな右翼とは器もスケールも桁違いの、共感すれば左翼だろうがアナキストだろうが探検家だろうが中国人だろうが韓国人だろうがインド人だろうが垣根なく資金援助したという寧ろコスモポリタンに近い人物だったんじゃないかと思います。チャイナ服着たり大陸風味だった80年代のユーミンと何となく繋がっているような(血は繋がってないけど)気がします。近代と現代が入り混じって展開される感じはちょっと奇書っぽくて素敵な一冊。

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2015年4月10日 (金)

反知性主義と451

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いつも同時進行で2冊の本を行きと帰りに読んでいるのですが、時々2冊の内容が偶然リンクするということがあります。つまり自分が選びとった2冊の根幹が今自分が気になっていることだったりするんですね。

今読んでいるのはレイ・ブラッドベリのSF「華氏451度」と内田樹編集の「日本の反知性主義」。この2冊はほぼ同じ事象を扱っています。「華氏451度」は愚民化政策によって本の所持が禁止された未来の話で、本を持っていた市民は通報されて家ごとファイアーマンに焼かれます。これをブラッドベリが書いた50年代のアメリカというのはアカ狩り「マッカーシズム」の嵐が吹き荒れていた時代でした。共和党議員だったジョセフ・マッカーシーは共産主義者の疑いがある人を相互監視で密告させて次々と告発していった人で、こいつのおかげでチャップリンはアメリカを追われ、エリアカザンは仕事を干されたのです。結局マッカーシーはただ自分に注目してもらいたいために世間を騒がせただけのトンチキだったと分かるわけですが、この人を中心にアメリカを覆ったのが「反知性主義」といわれる空気だったと内田樹は書いています。「反知性主義」は痛い過去を勝手に都合のいいように修正したり解釈したりしてロクスッポ文献や研究もなしに(傷つきたくないから)糾弾する声だけはデカイのです。過去と未来へのリスペクトがまるでないのです。最近の日本でも「アンネの日記」が破かれたり、「はだしのゲン」が閲覧できなくなったりというニュースがあるし、そもそも国が過去に耳を塞ごうという姿勢がやがて梵書に発展したりしたらオーウェルやブラッドベリの描いたディストピアが出現しかねないですよ。もうなってんのかな日本は?不安だな~。読んでて面白いんだけどドンドン不安になる2冊ですねー。

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2015年3月14日 (土)

アイディア紳士

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時々顔を出す西荻窪の古本屋「にわとり文庫」でゲット。

本当は同じ紳士シリーズの「マイカー紳士」が欲しかったんですが「ありますか?」と聞いたら「ないです」とのこと。しかしこれ、読んだら結構面白かった。アイデアもといアイディアというけれど寧ろ広告のマーケティングリサーチの初歩という内容でした。著者の片山龍二という人は広告コンサルティングをしている人でこの本の発行当時(昭和41年)は全ページ広告という雑誌「コンシューマー」の発行やテレビやラジオに出演したりで引っ張りだこだったようです。が、現在一向に検索に引っかからないがどうしているんでしょうか。

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2015年1月29日 (木)

シドニー=ガブリエル・コレット

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Colette

そんなに大きくない新板橋駅前の本屋。文庫本を買おうと本棚を行ったり来たりしましたが何か違和感があって「おっかしーなー」と呟きながらふと、ここには国内本しかない!ということに気づきました。外国文学がない!よく見ると新刊のコーナーは百○尚○本、○韓、○中の本が平積み。しまった!そういう本屋だったのか、と今更焦りましたが、よく見ると端っこの方にさり気なく少ないレパートリーの外国文学コーナーがありました。(いくら本が売れない時代だからと云ってこれがいまの日本の本屋の現実なのかと本当に泣きたくなって帰り道泣いた)そんなかで唯一面白そうだったのがトルーマン・カポーティの遺作となった「叶えられた祈り」。実名が列挙される意地悪な本なんですが、ここに出て来る印象的なフランス人女流作家コレット。シドニー ガブリエル・コレットという人、気になりました。日本で云うと誰だろう?綿谷りさとか?岩井志麻子?川上未映子?いや、作家じゃないけど椎名林檎とかが近い?

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2014年6月 5日 (木)

桐野夏生「ナニカアル」読了

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 同じ土俵にあげるべきではないんですが、山口恵以子の「月下上海」と桐野夏生の「ナニカアル」の両作品でどちらがノコッタかというと、もう桐野夏生の方に圧倒的な軍配をあげます。

 両作品とも戦時下のアジアを舞台にした怪作で「月下上海」は40年代の魔都・上海に行ってみたい!そこで諜報活動と恋とセレブとスリルとイケメンと美人のアタシが絡んで目が♡な感じが少女漫画やコバルトの延長線にあると云えます。これはこれでフィクションの楽しさがあって嫌いじゃないんですが、鬼気迫る桐野夏生センセイの虚と実が入り交じる「ナニカアル」を読んでしまった後だと途端に舞台の書き割り感ハンパねっす。

 「放浪記」読んだことないんですけど林芙美子から連想されるイメージってやっぱり森光子の「でんぐりがえし」を観に着物のオバサマたちが帝劇ロビーに殺到してるような古くさーい感じ。桐野夏生センセイはその林芙美子を己に憑依させて性欲と嫉妬とプライドを爆発させるラディカルなイメージに更新。まさに「骨を換え胎を奪う」です。

 それと戦時下のリアルさ。

経済的に困窮する恐ろしさみたいなものをメディアで煽られている今現在だと思うんですが、果たして戦時下の日本で報国に尽くすか、非国民として謗られながら困窮の道を行くか、どちらか選べと云われたら結構今の日本人の多くって報国に突っ走るんじゃないかなと思うんです。突っ走らないまでもいつの間にか取り込まれて加担させられている怖さ。反骨的なジャーナリストや表現者がいたとしてタイミングよく「戦争反対。御上くそくらえ」の精神をどこまで貫けるのか?漬物石にヒビが入り始めている今まさに突きつけられている問題ですよ(2014年現在がもしかしたら戦前かもという言もあり)。思想云々より「外に飛び出したい」という好奇心を盾に報国した林芙美子は実際のところどうだったのかは曖昧なんですけどね。

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2014年4月24日 (木)

『安井かずみがいた時代』読了

島崎今日子の『安井かずみがいた時代』をすごいスピードで読み終わりました。作詞家・安井かずみ(1939~1994)の周辺にいた複数の人物たちにインタビューすることでその中心人物を浮き上がらせるという、以前読んだジーンスタインの『イーディ 60年代のヒロイン』と似た構造の本です。面白かったのでぐいぐい読みました。

とにかく作詞に関して天才的なプロフェッショナルで、綺麗で洗練されていてお洒落で破天荒でみんなの憧れだったけど、寂しがりやで何よりも「愛」の人だったというのが総じての意見。これは多分すでに多くの人に知られているパブリックイメージから少しも逸脱してない感じで「ま、そうだろな」という印象でした。

だけどやっぱり加藤和彦との関係に関しては一言ある、みたいな人が割と多いんだなーと。一部から嫉妬を買ったというのもあるでしょうが、あまりに二人の生活に閉じこもってしまって幅広かった交友関係が狭められていたというのはちょっと意外でした。吉田拓郎なんか嫉妬と羨望と哀惜がトッチらかって何云ってんのかわかんないし。

それと二人は素敵な結婚生活を演出していたらしいという意見もありギョッとなります。

こうなってくると読者としては俄然、いろんな批判に晒されながら最終的に自殺しちゃった加藤和彦の方に興味が湧いてくるというもんです。こっちの方が闇が深そうで、どういう精神の人だったんだろうかと気になります。安井かずみの散骨が終わったその足ですぐ次の再婚相手・中丸三千繪に会いに行って49日を待たずに結婚したというのも不思議。そのうち誰かがこの人の自伝の決定版を書くべきでしょう。

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2012年3月10日 (土)

追加情報

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追加情報!!
3月7日に発売となりました。「マグニチュード・ゼロ」
税別で2,200円となります。売り上げの一部を被災地の支援団体に寄付します。

アマゾン

パブ告知は以下の通り

ヤフーニュース


エーエフピーニュース


ナタリー


朝日新聞


NHK

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2011年4月 9日 (土)

ハリウッドバビロン

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学生の頃に今はなき「BOX東中野」という映画館に通いつめていた時期があり、映画が始まる前に近くのミスタードーナッツでこれまた今はなき「チョコクリーム・フレンチ」という、その当時の私の組織の一部だったと言っても過言ではないほどに食べていたドーナツで腹ごしらえして数々の変な映画を観ていました。水曜の深夜になると「ロッキーホラーショーナイト」と云われるロッキーホラーショーマニアの皆さんがコスプレして映画に合わせてお米を投げたり踊ったりする企画もあり、そんな中で評論家の椹木野衣に阿呆のように感化された(多摩美の先生で9253も教わったそう)私が好きだったのがアンダーグラウンド映画の鉄板「ケネスアンガー特集」でして「スコピオライジング」とか「ルシファーライジング」とか、そのほとんどは意味不明でおどろおどろしい暗い映画を観るためにセッセと中央線に乗ってたのです。そのケネスアンガーがハリウッド黎明期からはじまる数々のスキャンダルを面白く書いた「ハリウッド・バビロン」という本を出版していた事を知り、ものすごい勢いで探したものの、既に絶版となっており古書店で探しても一向に見つからず15年のむなしい歳月が流れ続けたある日、オッサンになり妻子持ちになった私の元に朗報が!!!何とこの本が売れないご時世にパルコ出版が「ハリウッド・バビロン」を復刊するというではありませんか!!!(涙)

既に入手して幸せに読んでいます。1ページ1ページ惜しむように読んでいます。ネットでは売らないそうなので大型の書店に行かないと購入できません。

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2011年3月 7日 (月)

殺人者が語る日本のランドスケープ

市橋達也の「逮捕されるまで」を読みました。
読了後の感想として、とりあえずこれは「逃走劇」に主眼が置かれたもので事件に対する贖罪の気持ちは皆無に等しいから、刑が確定したあかつきには事件そのものと被害者に対する意識とちゃんと向き合い「もう一冊書け」と云いたい。だってこれ自分の事しか書いてないじゃない。多分、この人は人殺しになるまで自分の人生が何にも始まっていなかったんじゃないかと、期せずして自分自身を発見してしまって嬉しかったんじゃないかと、で、孔子じゃないけど「30にして立ち」外に出かけて日本という国土を再発見し、自分で働き報酬を受け取りいろんな場所でいろんな人と交わる事でいろんな葛藤も生まれて遅い人生がようやくスタートしている(ように見える)、その発端が殺人という「人との関わり」だったというのが何とも皮肉なことですが。要は逃走記というより「市橋君の成長日記」あるいは「市橋君の大人計画」なわけで(一人称は当然“僕”)それに金を払ってしまった人たちの中には怒り狂う人がいて当然なことです。で、事件から離れたところでその成長日記が本当にイニシュエーションを通過したひとりの人間の成長を扱った実録として成り立ってしまっている…という、これどうなんですか。ことによったら拙い文章が紡ぐピュアネスに感動するやつがいるかもしれない。だがピュアな自分が大好きなのは分かったからもう一冊ちゃんと書け、事件の事をちゃんと書けと、「ライ麦畑〜」のホールデンが好きな“僕”はいいから時間掛けてちゃんと書けと。いいたい。

一番印象に残ったのは前半部分、マンションから裸足のままの逃走劇を経て上野ー秋葉原ー熊谷ー水戸ー熱海ー新潟ー青森と脈絡なくひとりで電車に乗りまた国道を歩き、人目を避けながら逃げる課程で描写される日本の郊外あるいは田舎の風景。生えている植物や花や木々の様子、また夜の漆黒にそびえる山やなだらかな丘やえんえんと続く一本道、都市に生きる人々など、それらを内包する日本の風景、日本の地形の様子が大学の園芸学部でランドスケープ・デザインを専攻していたという市橋独特のセンスで、まるでグーグルマップ3Dのポリゴンのような、疲労感ゼロで語られていくこと。
殺人者が語る日本のランドスケープ。

これは一体。

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